ニッケルの指輪

2008年08月18日

終戦記念日

この話は、同友会で一緒に学ぶ静岡の経営者仲間のブログで紹介されたお話です。
8月15日の終戦記念日に投稿したかったのですが、少し遅れてしまいました。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------

《ニッケルの指輪》
お隣の息子さんは19歳の若さで戦死した、昔の神風特攻隊であった。飛行機ごと敵艦に突っ込むのだから、当然、何も残らない。だから遺骨の箱は空っぽのはず。なのにその遺骨箱は、傾けた拍子に、ことりと音がした。何か入っているらしい。
 
好奇心にかられて「開けてみようか」と言いましたが、ご主人より妻の政子さんが「遺骨箱を開けるのは、お墓を暴くのと同じで仏を侮辱することです、やめてください」と目の色変えて反対したそうである。
 
戦死した息子さんの生みの母は、息子さんが3歳の時に亡くなって、今の政子さんは継母だったのである。つまり、生さぬ仲の母子で、神経質に気を使っていると思った。それで、遺骨はそのままで50年が過ぎた。
 
この地方の慣例で、遺骨箱は50年は仏壇に供えておくが、50年忌がくると、先祖累代の墓地に移されることになっていた。法要の長々とした読経のあとで、墓に移す前に、遺骨の箱を開けてみようと提案された。
 
ご主人はすでに亡くなっていたので、継母の政子さんも、多勢に押されてしぶしぶ同意した。こうしてお坊さんの手で箱は開けられた。出てきたのは1枚の便箋紙にくるまれた、ニッケルの女物の指輪だった。
 
「あら、それは若い頃に紛失したまま、忘れていた私の指輪やが」と政子さんが言った。そして便箋には、ペン字の走り書きで、次のようなことが書いてあった。
 
僕は3歳の時から育てられて、心の中ではすまないと思いながら、ついにお母さんと呼べなかった臆病者でした。出生する時お母さんの鏡台から、そっと持っていったこの指輪、お母さんと思って肌身離さず大切にしていましたが、出撃命令を受けた今、修羅の海に沈めたくないので、お返しします。そして今こそ、呼ばしてもらいます。お母さん!僕は19年3ヶ月と、短い命でしたが、お母さんは僕の分まで長生きしてください。これが最初で最後です。お母さん!さようなら。
 
強烈な感動が、みんなをおし包んだ。息子さんが頑なに、お母さんと呼ばなかったことは皆も知っていた。「冷たくするからなづかんのか、なづかんから冷たくするのか、生さぬ仲とは妙なもの」ぐらいに、傍は思っていたが、子どもの心はそうではなかった。
 
初めて知った継子の純情に政子さんは手放しで泣いた。みんな泣いた、私も泣いた、あの感動は今も忘れない。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------

63年前の戦争には、いや今までの戦争には、このような話が多く隠されているのだろうと思います。
このような尊い命が今の日本を築き上げていただいたのだと感謝します。

同時に、戦争の愚かさを感じます。

そして、いとも簡単に自分の命を、また他人の命を粗末にする現在の日本人に憤りを感じさせるお話です。

8月15日、命を考える深く重たい一日でありたいものです。

yama1117 at 23:47|PermalinkComments(0)