いいお話し

2012年06月27日

希望を持つ!

念ずれば花開く

など、希望を強く抱くことの大切さを、色々な場面で

耳にします。

もちろん、念ずるだけではダメで、行動が必ず必要です。


下記は、

いつも頂くメルマガで紹介されていたものです。

生命の本質というレベルで、このことが紹介されています。


◇─────────────────────────────────◇

僕が看取った患者さんに、
スキルス胃がんに罹った女性の方がいました。

余命3か月と診断され、
彼女は諏訪中央病院の緩和ケア病棟にやってきました。

ある日、病室のベランダでお茶を飲みながら話していると、
彼女がこう言ったんです。


「先生、助からないのはもう分かっています。
  だけど、少しだけ長生きをさせてください」


彼女はその時、42歳ですからね。
そりゃそうだろうなと思いながらも返事に困って、
黙ってお茶を飲んでいた。すると彼女が、


「子供がいる。子供の卒業式まで生きたい。
 卒業式を母親として見てあげたい」


と言うんです。

9月のことでした。
彼女はあと3か月、12月くらいまでしか生きられない。

でも私は春まで生きて子供の卒業式を見てあげたい、と。

子供のためにという思いが何かを変えたんだと思います。


奇跡は起きました。
春まで生きて、卒業式に出席できた。

こうしたことは科学的にも立証されていて、
例えば希望を持って生きている人のほうが、
がんと闘ってくれるナチュラルキラー細胞が
活性化するという研究も発表されています。

おそらく彼女の場合も、希望が体の中にある
見えない3つのシステム、内分泌、自律神経、免疫を
活性化させたのではないかと思います。


さらに不思議なことが起きました。

彼女には2人のお子さんがいます。
上の子が高校3年で、下の子が高校2年。

せめて上の子の卒業式までは生かしてあげたいと
僕たちは思っていました。

でも彼女は、余命3か月と言われてから、
1年8か月も生きて、2人のお子さんの卒業式を
見てあげることができたんです。

そして、1か月ほどして亡くなりました。

彼女が亡くなった後、娘さんが僕のところへやってきて、
びっくりするような話をしてくれたんです。

僕たち医師は、子供のために生きたいと
言っている彼女の気持ちを大事にしようと思い、
彼女の体調が少しよくなると外出許可を出していました。


「母は家に帰ってくるたびに、
 私たちにお弁当を作ってくれました」


と娘さんは言いました。

彼女が最後の最後に家へ帰った時、
もうその時は立つこともできない状態です。

病院の皆が引き留めたんだけど、どうしても行きたいと。
そこで僕は、


「じゃあ家に布団を敷いて、
 家の空気だけ吸ったら戻っていらっしゃい」


と言って送り出しました。


ところがその日、彼女は家で台所に立ちました。
立てるはずのない者が最後の力を振り絞ってお弁当を作るんですよ。
その時のことを娘さんはこのように話してくれました。


「お母さんが最後に作ってくれたお弁当はおむすびでした。
 そのおむすびを持って、学校に行きました。
 久しぶりのお弁当が嬉しくて、嬉しくて。

 昼の時間になって、お弁当を広げて食べようと思ったら、
 切なくて、切なくて、
 なかなか手に取ることができませんでした」


お母さんの人生は40年ちょっと、とても短い命でした。


でも、命は長さじゃないんですね。


お母さんはお母さんなりに精いっぱい、必死に生きて、
大切なことを子供たちにちゃんとバトンタッチした。


人間は「誰かのために」と思った時に、
希望が生まれてくるし、その希望を持つことによって
免疫力が高まり、生きる力が湧いてくるのではないかと思います。

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お母さんから命のバトンタッチ

私にも、大学3年、大学1年、中学3年の三人の娘がいます。

自分の家庭に照らし合わせて読んでしまいます。

やはり涙ですね・・・


「誰かのために!と思ったときに希望が生まれてくる」

人と人とのつながり・・・

経営、人生そのものですね。




yama1117 at 10:19|PermalinkComments(2)

2012年06月09日

高校生達へ

ここ最近、高校新卒求人やインターンシップの依頼などで
高校の先生や校長先生とお会いして懇談をする機会が増えています。

感じるのは、先生方の一生懸命さです。
特に校長先生の熱い想いに触れる事が出来ます。

どのようなことを持って卒業してほしいのか、
そしてどのような想いで働くのか・・・

今後も、企業家と教育者の立場で今の時世を情報交換して
来たいものです。

さて、
「熊本の名校長・最後の授業」というメーリングを
受け取りました。
紹介します。

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私が考える教育の究極の目的は

「親に感謝、親を大切にする」です。

 

高校生の多くはいままで自分一人の力で

生きてきたように思っている。

親が苦労して育ててくれたことを知らないんです。

 

これは天草東高時代から継続して行ったことですが、

このことを教えるのに一番ふさわしい機会として、

私は卒業式の日を選びました。

 

式の後、三年生と保護者を全員視聴覚室に集めて、

私が最後の授業をするんです。

 

 

そのためにはまず形から整えなくちゃいかんということで、

後ろに立っている保護者を生徒の席に座らせ、

生徒をその横に正座させる。

そして全員に目を瞑らせてからこう話を切り出します。

 

 

「いままで、お父さん、お母さんに

 いろんなことをしてもらったり、

 心配をかけたりしただろう。

 それを思い出してみろ。

 

 交通事故に遭って入院した者もいれば、

 親子喧嘩をしたり、こんな飯は食えんと

 お母さんの弁当に文句を言った者もおる……」

 

 

そういう話をしているうちに涙を流す者が出てきます。

 

 

 

「おまえたちを高校へ行かせるために、

 ご両親は一所懸命働いて、

 その金ばたくさん使いなさったぞ。

 

 そういうことを考えたことがあったか。

 学校の先生にお世話になりましたと言う前に、

 まず親に感謝しろ」

 

 

そして

 

 

「心の底から親に迷惑を掛けた、苦労を掛けたと思う者は、

 いま、お父さんお母さんが隣におられるから、

 その手ば握ってみろ」

 

 

と言うわけです。

 

すると一人、二人と繋いでいって、

最後には全員が手を繋ぐ。

私はそれを確認した上で、こう声を張り上げます。

 

 

「その手がねぇ! 十八年間おまえたちを育ててきた手だ。

 分かるか。……親の手をね、これまで握ったことがあったか?

 おまえたちが生まれた頃は、柔らかい手をしておられた。

 

 いま、ゴツゴツとした手をしておられるのは、

 おまえたちを育てるために

 大変な苦労してこられたからたい。それを忘れるな」

 

 

その上でさらに

 

 

「十八年間振り返って、親に本当にすまんかった、

 心から感謝すると思う者は、いま一度強く手を握れ」

 

 

と言うと、あちこちから嗚咽が聞こえてくる。

 

私は

 

 

「よし、目を開けろ。分かったや?

 私が教えたかったのはここたい。

 親に感謝、親を大切にする授業、終わり」

 

 

と言って部屋を出ていく。

振り返ると親と子が抱き合って涙を流しているんです。

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しかし、今の時代
親がまったく関与しない事もあるらしいです。

幼年期にスプーンの使い方すら親に教えてもらっていない
子供がいるらしいです。

間違った世の中になっている気がします。。。。



yama1117 at 16:28|PermalinkComments(5)

2012年04月16日

病気を治すのではなく、病人を助けて欲しい

先週の金曜日、大阪医科大学にて、医学部5年生を対象に

医療倫理コースにて大谷 貴子さん講師のゲストスピーカーで

登壇してきました。

大谷貴子さんは、自分自身の白血病との闘病から、
日本の骨髄バンク創設に尽力された方です。
(詳しくは、プロフィールは、リンクを見てください)

私は、過去にバンクを通じて、2回骨髄移植で提供しています。(過去のブログ

その中で感じたことや気付きを医学生に対して語ってきました。


さて、大谷さんの言葉の中で心に残った言葉があります。

「病気を治すのではなく、病人を助けて欲しい」


例えば、抗がん剤で様々な副作用が発生します。

女性も、男性も卵子や精子に影響が出て不妊にもなるそうです。

しかし、抗がん剤を投与する前に、「未受精卵子保存」など

対策があるそうなんです。

若い患者さんには大きく関係することですね。


しかし、多くのドクターは専門分野の説明はするが、専門分野以外の

情報には乏しく、説明も無いとのこと。


声を大きく医学生達に訴えておられました。

「病気を治すのではなく、病人を助けて欲しい」


この言葉は、経営者の私にも深く突き刺さりました。

自社の仕事はなんですか?

すごい仕事をしているのに気がついていますか?

自社の仕事に自信を持っていますか?

自社の存在意義は?

この言葉には、まさしく経営理念の想いが入っています。


「病気を治すのではなく、病人を助けて欲しい」

大きな気付きをいただきました。









yama1117 at 16:52|PermalinkComments(0)

2012年02月13日

中小零細企業の勝ち方

   「小さな電気屋の明るい経営術」
             山口勉(でんかのヤマグチ社長)

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地元に大型量販店がくる――。
 
こんな話が私の耳に飛び込んできたのは、
町の電気屋「でんかのヤマグチ」が東京都町田市で、
創業三十年を過ぎた平成八年でした。


「噂で終わってくれ」


と願ったのも束の間、近隣にあっという間に
六店もの大型量販店ができたのです。

三十年以上商売をしてきた経験から、
売り上げが年に三十%近くも落ちることが見込まれ、
事実、三、四年の間に借金は二億円以上にまで膨れ上がっていきました。

まさに、会社が存続するか否かの瀬戸際です。
生き残るためにはどうするか。

悩みに悩んで私が出した結論は十年間で粗利率を十%上げ、
三十五%にすることでした。

当時大型量販店の粗利率の平均は約十五%で、
地元の電気屋が約二十五%程度でした。

周りからは、

「そんなことできっこない」

という声が
大多数でしたが、それ以外に
生き残りの術は浮かばなかったのです。

私がまず決めたのは、大型量販店のように
商品を安売りするのではなく、
逆に「高売り」することでした。

この頃当店は約三万四千世帯のお客様に
ご利用いただいていましたが、
これだけの数では本当の意味で
行き届いたサービスはできません。

そのため商圏をなるべく狭くし、
ターゲットを五十代からの
富裕な高齢者層に絞り込んで三分の一にまで縮小しました。

そして一万二千世帯のお客様には
他店では真似できないようなサービスを
とことんしようと決めたのです。

顧客数を三分の一に減らした分、
月一度行っていた訪問営業を月三回に増やす。

これによって、お客様との深い人間関係ができ、
商品が少々高くても購入してくださる方が
増えるだろうと考えたのです。

訪問の際にお聞きするのは、
お客様が生活される上での
ちょっとしたお困り事についてでした。

ひと昔前の日本では何か困り事があると
隣近所で助け合い、支え合うという
相互扶助の精神が息づいていました。

私が着目したのはこの部分です。

家電製品のデジタル化が進む一方で、
地元民の高齢化もどんどん進んでいました。

当然、家電の操作が思うようにできない方も多くなりますが、
お客様のお困り事はそれだけに限りません。
ご高齢、体の不自由な方は買い物に行くのも大変です。

そのため、当店では本業とは無関係なことも
徹底してやらせていただくようにしたのです。

お客様の留守中には植木の水やりをしたり、
ポストの手紙や新聞を数日保管したり、
大雨では代わりに買い物にも出掛けたり。

これらを我われは「裏サービス」と呼び、
お代は一切いただきません。

会社のモットーも


「お客様に呼ばれたらすぐにトンデ行く」

「お客様のかゆいところに手が届くサービス」

「たった一個の電球を取り替えるだけに走る」


などに定め、


「どんな些細なことでも言ってくださいね」


とお声がけをしながら十数年、社員パート合わせて
五十名で徹底して取り組んできました。

ただしお客様との信頼関係は
一朝一夕にできるものではありません。
私が粗利率の目標達成期間を一年や二年でなく、
十年としたのもそのためです。

悪い評判に比べ、よい評判が広がるには
かなりの時間がかかります。
しかし、この姿勢を愚直に、ひたむきに
貫いていったことで、結果的に
八年間で粗利率三十五%を達成することができました。

その目標達成のため、とにかく無我夢中で
取り組んできた私ですが、
この方向でいけるかなとなんとか思えるようになったのは、
粗利率を十%上げる方針に転換して
三、四年が経過してからのことでした。

経営者として小さな電気屋が六店舗もの
大型量販店との商売競争に勝つために
いったん決断はしたものの、
本当にそんな粗利率をクリアできるのか、
お客様は本当に買ってくださるだろうか、と悩み続けました。


「この判断は正しい」

「いや、ダメだ。うまくいかない」


という思いが年中、頭の中で争いをしているような状態……。
しかし、いつも最後には

「この道が正しいんだ」

という考えが勝ちを占めるよう心掛けました。

肝心なのは一度この道を行くと決めたなら、
途中で迷わないことではないでしょうか。
思うように結果が出ないと、
あの道もこの道もよさそうだと目移りしますが、
そのたびに


「成功するまでやってみよう」


と自分に言い聞かせる。

急ぐことはなく、ゆっくりでいいから
とにかく一歩一歩を着実に歩んでいくことが大事だと思います。

会社の存続が危ぶまれた大型量販店の出現から十四年。
しかしこの間、赤字決算が一回もないことには
我ながら驚きます。

さらに、一生返せないと思っていた
二億円以上の借金を三年前に完済することができました。

人間はとことんまで追い詰められ、
地べたを這いずり回るような思いで
必死になって取り組むことで
活路が開けるものなのかもしれません。

もしあの時、量販店がこの町田に来ていなければ、
今日のような高売りをしているとは考えにくく、
そう考えると逆にゾッと寒気すらします。

現在の日本も不況が続き、
出口の見えないような状況が続いています。

しかしデメリットばかりに目を向けて
内向き思考になってしまっては、
せっかく転がっているチャンスも逸してしまいます。

いまある常識やこれまでよしとされてきたことも、
本当にこれでいいのか、と根本から疑ってみることで、
チャンスが見つかることも少なくないはずです。

現状を打破する発想は、
ピンチの中にこそ生まれるのだと思います。



yama1117 at 21:36|PermalinkComments(0)

2012年02月08日

お山の大将ではだめですね〜

まだまだ、自分には努力というのが足らない・・・

なんかお山の大将に満足している感が・・・

もっともっと努力しないと!!!!

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「努力の上に辛抱という棒を立てろ」

 

   

   桂小金治さんのお話です

         

(10歳頃)、

僕にとって忘れられない出来事があります。

 

ある日、友達の家に行ったらハーモニカがあって、

吹いてみたらすごく上手に演奏できたんです。

無理だと知りつつも、家に帰って

ハーモニカを買ってくれと親父にせがんでみた。

 

すると親父は、「いい音ならこれで出せ」と

神棚の榊(さかき)の葉を1枚取って、

それで「ふるさと」を吹いたんです。

あまりの音色のよさに僕は思わず聞き惚れてしまった。

もちろん、親父は吹き方など教えてはくれません。

 

「俺にできておまえにできないわけがない」。

 

そう言われて学校の行き帰り、葉っぱをむしっては

一人で草笛を練習しました。

だけど、どんなに頑張ってみても一向に音は出ない。

諦めて数日でやめてしまいました。

 

これを知った親父がある日、

 

「おまえ悔しくないのか。

 俺は吹けるがおまえは吹けない。

 おまえは俺に負けたんだぞ」

 

と僕を一喝しました。続けて

 

「一念発起は誰でもする。

 実行、努力までならみんなする。

 そこでやめたらドングリの背比べで終わりなんだ。

 

 一歩抜きん出るには

 努力の上に辛抱という棒を立てるんだよ。

 この棒に花が咲くんだ」

 

と。その言葉に触発されて

僕は来る日も来る日も練習を続けました。

そうやって何とかメロディーが

奏でられるようになったんです。

 

草笛が吹けるようになった日、

さっそく親父の前で披露しました。

 

得意満面の僕を見て親父は言いました。

 

「偉そうな顔するなよ。

 何か一つのことができるようになった時、

 自分一人の手柄と思うな。

 世間の皆様のお力添えと感謝しなさい。

 錐(きり)だってそうじゃないか。

 片手で錐は揉めぬ」

 

 

努力することに加えて、

人様への感謝の気持ちが生きていく上で

どれだけ大切かということを、

この時、親父に気づかせてもらったんです。

 

翌朝、目を覚ましたら枕元に新聞紙に包んだ

細長いものがある。

 

開けて見たらハーモニカでした。

 

喜び勇んで親父のところに駆けつけると、

 

「努力の上の辛抱を立てたんだろう。

 花が咲くのは当たりめえだよ」

 

子ども心にこんなに嬉しい言葉はありません。

あまりに嬉しいものだかち、お袋にも話したんです。

するとお袋は

 

「ハーモニカは3日も前に買ってあったんだよ。

 お父ちゃんが言っていた。

 あの子はきっと草笛が吹けるようになるからってね」

 

僕の目から大粒の涙が流れ落ちました。

いまでもこの時の心の震えるような感動は、

色あせることなく心に鮮明に焼きついています。



yama1117 at 16:34|PermalinkComments(0)

2011年10月20日

教育じゃない共育なんだ!

メルマガでみたお話です。

先日訪れた知覧の特攻隊の遺書もに関する
件もあります。

指導者の考え方、いや考え方ではない!   

生き様を教えていただく内容です。 

       

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徳永先生は熊本県の歴史始まって以来30代の
若さで小学校の校長になられたほど優秀でしたが
「教員の仕事は教壇に立って教えることだ」と
5年で校長を降り、自ら志願して一教員に戻った人でした。

 

だからどの学校に行っても校長に嫌われるんですね。

自分より実力が上なものだから。

 

それで2年ごとに学校を出されてしまうんだけど
行く先々で教師たちが一番敬遠している難しい
クラスを受け持ってみんなを勉強好きに変えてしまうんです。

 

授業の前に児童たちが職員室へ迎えに来て騎馬戦
みたいに先生を担いで「ワッショイ、ワッショイ」
と教室に連れて行ったというんです。

 

先生、早く教えてくれって。

 

先生は昼飯を食べない人でした。

 

なぜ食べないかというと、終戦直後、昼の時間になると
弁当を持ってこられない子どもたちがさーっと教室から
いなくなる。

 

それでひょっと校庭を見たらその子たちが遊んでいたんです。

 

その時から自分もピタッと昼飯を食べるのを止めてその子たちと
楽しい遊びをして過ごすようになりました。

 

以来、昼飯はずっと食べない人生を送るんですよ、晩年になっても。

 

これは戦前の話ですが
「明日は工作で切り出しナイフを使うから持っておいで」
と言って児童たちを帰したら、次の日の朝、
「先生、昨日買ったばかりのナイフがなくなりました」
という子が現われました。

 

先生はどの子が盗ったか分かるんですね。

 

それで全員外に出して遊ばせているうちに盗ったと思われる
子どもの机を見たらやっぱり持ち主の名前を削り取って
布に包んで入っていた。

 

先生はすぐに学校の裏の文房具屋に走って同じナイフを買い、
盗られた子の机の中に入れておきました。
子どもたちが教室に帰ってきた時
「おい、もう一度ナイフをよく探してごらん」と言うと
「先生、ありました」
と。

 

そして

「むやみに人を疑うものじゃないぞ」と言うんです。

 

その子は黙って涙を流して先生を見ていたといいます。

 

 

それから時代が流れ、戦時中です。

特攻隊が出陣する時、みんなお父さん、お母さんに書くのに
たった一通、徳永先生宛の遺書があった。

 

もちろんナイフを盗った子です。

 

「先生、ありがとうございました。

あのナイフ事件以来、徳永先生のような人生を送りたいと
思うようになりました。


明日はお国のために飛び立ってきます……」

という書き出しで始まる遺書を残すんです。

 


それから、こんな話もあります。

 

先生が熊本の山間の過疎地の教員をやられていた頃、
両親が分からない子がおったんです。

 

暴れ者でね、とうとう大変な悪さをやらかした時、
徳永先生は宿直の夜、


「君の精神を叩き直してやる」

と言って、その子をぎゅっと抱いて寝てやるんですよ。 

 

後に彼は会社経営で成功して

身寄りのない者を引き取って

立派に成長させては世の中に出していました。

 

「自分のいまがあるのは、小学校4年生の時に

徳永康起先生に抱いて寝ていただいたのが始まりです。

先生、いずこにおられましょうか」


という新聞広告を出して、40年ぶりに再会した

なんていう物語もありました。


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経営者をしている私。

常に経営者は教育者でないといけないと感じそして
言葉にも発しています。

しかし、真の教育者とはどんな姿勢のことをいうのかを
曖昧に言葉を発していました。

真の教(共)育者を目指さないといけません。。。。




yama1117 at 17:20|PermalinkComments(4)

2010年10月18日

いいお話し

ツイッターでフォローしてくださっている方が教えてくれました。


「おまえは素晴らしいんだから」

http://www.youtube.com/watch?v=G_BonPLOkdk



経営者として、リーダーとして大切な言葉です。

yama1117 at 21:25|PermalinkComments(2)

2010年08月05日

愛情は「時間」ではなく「濃さ」

昨日のブログの続きです。
昨日のブログで紹介した記事の編集者が下記のことも紹介してくれて
います。


監督の話を聞いている祭に、市内のある小学校の先生の話を思い出しました。

その先生も「しかるときは本気でしかる。ささいなことでもほめる」と言って
いました。

その先生からお話いただいたエピソードです。

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クラスの子どもががんばっていたことを伝えようと、その子どもの家に

電話したときのことです。

お母さんは、「また何かしましたか?」と言いいました。

なかなか肯定的に見ることが出来ないお母さんに

「○○くん、頑張ったよ。ぎゅっとしてあげて」と伝えました。

その夜、お母さんからこんなメールが届きました。

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先ほどはお電話ありがとうございました。先生に言われたとおり

「ほめて、ぎゅっとしてあげて」を今日はしてあげようと思ったん

ですが・・・。毎日怒ってばかりなので、どうやってほめたらよいか

悩みました。

結果、わたしは涙をこらえ、子どもに顔をみられないように後から

ぎゅっと抱きしめて「よーがんばったね!」としか言ってあげれませんで

した。子どもはすごくうれしかったのか、目を赤くして何回もこすって、

泣いていました。

こんな愛情のかけ方をしてあげていなかったことをすごく反省して

涙が止まりません。今まで、できて当たり前と思ってほめたこともなく、

できないならきつい言葉を浴びせていました。今日の子どもの涙で愛情

が不足していたことが分り、つらかったです。

教えていただき本当にありがとうございました。これからは怒るだけで

なく、素直にほめてハグしていきます!

****************************************************************

この先生が、4月の学級懇談で保護者に必ず言っていることは、

「まずほめてあげよう!」だそうです。

愛情は、「時間」ではなく「濃さ」。「今、子どもとかかわれる時間を

大切に、子育てを楽しもう!」と言われているそうです。
 
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「時間」ではなく、「濃さ」

反省と気づかされる記事でした。



yama1117 at 09:00|PermalinkComments(2)

2010年08月04日

しかるときは本気でしかる。いいときはちゃんとほめる。

わが地域、大東市の市報「だいとう」に載っていた記事です。

「人権のひろば」のページに、
〜子供と共に育つ 今を楽しもう!〜
の特集で、

一生懸命にドッジボールの練習をする子どもたちの姿とそして真剣に
子どもたちを見つめる指導者の姿が紹介されています。

試合に勝って子どもたちを笑顔にしてやりたいと始まったチーム。

その活動の中で、指導者達が気付き子ども達と一緒になって育つ
事が記事のポイントです。

その中に、子ども達は、
「監督達は、自分たちで考えるように指導してくれます。自分で考えた
作戦をみんなに伝えて、うまくいったときはほめてくれます・・・」
そして、
「監督達は、しかってくれる人です。しかってくれる人がいるから
いい練習が出来ると思います・・・」

監督達はメッセージとして、
子どもの「やりたい」気持ちを大切にして下さい。そして出来るなら
一緒に取組み、感情を共有する中で「あなたのことを見ているよ」
「大事に思っているよ」と伝えて下さい・・・
と寄せられています。

この記事の編集者が、
子どもをひとつの人格としてみて尊重し、大きな愛情を持って
育てていくとき、子どもはその愛情を受けて伸び伸びと成長して
いきます。そして子どもと共に成長を喜び合う事が、「子育てを楽しむ」
ということではないでしょうか・・・


企業の社員教育も全く同じですね。
特に中小企業経営での社員教育は、「教育」ではなく「共育」で
なければならない。ということをこの記事から教わります。

家庭で、学校で、クラブで、そして社会に出てから会社の先輩や経営者
と共に育つ・・・
そんな地域社会を中小企業家も目指していかなくてはいけませんね。




yama1117 at 12:40|PermalinkComments(0)

2009年12月09日

いい話し

7日にテレビで、山田製作所が紹介された時に、見学に来てくださった見学企業の紹介もありました。


その企業は、「有限会社サンライズクリッド大阪」さんです。
サンライズクリッドさんは、障がい者の方々の就業移行を担う
企業さんです。

奥村社長の志の高さには、本当に感激しています。


さて、静岡は沼津の、秋山さんの日記から下記のお話を見つけました。リーダーの姿勢とは・・・
奥山さんの姿を思い浮かべながら読ませていただきました。

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広島県のある高等学校の話です。水泳大会のプログラムの中に、学級対抗のリレ−が組まれました。

 

ある学級で、4人の選手の中、3人はすぐ決まりましたが、4人目でもめました。その時、いじめグル−プの番長が「Aに出てもらおう」と叫びました。「そうだ、そうだ、Aがいい」と取り巻き連中が賛成してしまいました。

 

Aさんは小児麻痺の女生徒で、とても泳げる体ではなかったのです。でも彼らの恐ろしさを知っているみんなは、それに抗議することができませんでした。

 

いよいよ大会の日、Aさんが泳ぐ番になりました。1m進むのに2分もかかりました。まわり中からバカにした笑いと、ののしりの声が浴びせかけられました。

 

その時、背広のままプ−ルに飛び込んだ人がありました。そして「つらいだろうが頑張っておくれ。つらいだろうが、頑張っておくれ」と、泣きながら一緒に進み始めました。校長先生でした。

 

冷たい笑いとののしり声がピタリとやんで、涙の声援に変わりました。Aさんが長い時間をかけて25mを泳ぎぬき、プ−ルサイドに上がったとき、先生も、生徒も、いじめグル−プのみんなも、一人残らず立ち上がって、涙の拍手を送りAさんをたたえました。

 

その学校のいじめは、そのときからピタリと姿を消しました。校長先生がAさんの輝きを、みんなに気づかせ、目覚めさせてくださったのです。

 

分別臭くなった今だからこそ、相手のことを考えれば、こうした嘲笑や冷やかしはとても馬鹿げたことだと理解できるものですが、血気盛んな時代はなかなか気づかないかもしれません。

 

こう言う私も当時を振り返れば、決してその例外ではありません。それだけに人間として最低で愚劣な行為だと、早く気づかせてあげる指導者の存在が必要です。

 

まさに我が身をもって気づかせてあげた、この校長先生のような指導者との出会いがあった人は幸いです。やはり素敵な出会いが、その人の人生を大きく左右するものだと思っています。
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yama1117 at 17:00|PermalinkComments(2)

2009年04月06日

全社へ経営理念の浸透

昨日までの二日間、愛知中小企業家同友会 経営指針確立成文化セミナー「経営理念」のコースのお手伝いに行っていました。

その最後に、加藤リーダーが、東京ディズニランドの経営母体 株式会社オリエンタルランドの経営理念を紹介して、経営理念の実践について説明がありました。
そのときの資料の一部を書かせていただきます。

御存知の方も多いと思います。

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東京ディズニーランドの中にあるレストランでのお話です。

若い夫婦が二人でそのレストランに入りました。

店員はその夫婦を二人がけのテーブルに案内し、メニューを渡しました。

するとその夫婦はメニューを見ずに「お子様ランチを2つ下さい。」とオーダーした

のです。

店員は驚きました。なぜなら、ディズニーランドの規則で、お子様ランチを提供で

きるのは9歳未満と決まっているからです。

店員は、

「お客様、誠に申し訳ございませんが、お子様ランチは9歳未満のお子様までと決ま

っておりますので、ご注文はいただけないのですが・・・」と丁重に断りました。

すると、その夫婦はとても悲しそうな顔をしたので、店員は事情を聞いてみました。

「実は・・・」と奥さんの方が話し始めました。

「今日は、亡くなった私の娘の誕生日なんです。私の体が弱かったせいで、娘は最

初の誕生日を迎えることも出来ませんでした。子供がおなかの中にいる時に主人

と“3人でこのレストランでお子様ランチを食べようね”って言っていたんですが

、それも果たせませんでした。子どもを亡くしてから、しばらくは何もする気力も

なく、最近やっと落ち着いて、亡き娘にディズニーランドを見せて三人で食事をし

ょうと思ったものですから・・・」


店員は話を聞き終えた後、「かしこまりました」と答えました。そして、その夫婦

を二人掛けのテーブルから、四人掛けの広いテーブルに案内しました。

さらに、「お子様はこちらに」と、夫婦の間に子供用のイスを用意しました。

やがてそのテーブルには、お子様ランチが3つ運ばれてきました。

その店員は笑顔でこう言いました。

「ご家族で、ごゆっくりお過ごし下さい」


この夫婦から後日届いた感謝状にはこう書かれていました。

「お子様ランチを食べながら、涙が止まりませんでした。まるで娘が生きているよ

うに、家族の団らんを味わいました。こんな体験をさせて頂くとは、夢にも思って

いませんでした。もう、涙を拭いて、生きていきます。また来年も再来年も、娘を

連れてディズニーランドに行きます。そしてきっと、この子の妹か弟かを連れて行

きます。」


さて、この店員の行動は明らかに規則違反です。

しかし、この行動について上司からお咎めを受けることはありませんでした。

なぜなら、この店員はディズニーランドが最も重要視しているルールに従って行動

したからです。


それはお客さんに夢と感動を与えること。

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東京ディズニーランドを運営している、株式会社オリエンタルランドの経営理念を用いての説明でした。

最前線の社員(TDRではキャスト)まで、経営理念が浸透しているお話ですね。
だから、多くのお客さんが訪れるおとぎの国なのですね・・・



〈追記〉
この話を、方針コースのリーダーで参加していた、田代さん(田代珈琲(株))に説明していました。

口頭で・・・
「ディズニーランドのレストランにね、ある夫婦が訪れて・・・」

「店員さんが二人掛けのテーブルから、四人掛けのテーブルに案内した・・・」

ここでスイッチが入ります!
聞いている田代さんが、「もうあかん!」とおしぼりで目を押さえ、
話す私も、胸がつまり言葉が出ません。

ちょっと想像して下さい。
エエ歳した、おっさん二人が、ひつまぶし屋さんの座敷で泣いているシーンを
(笑えるでしょ・・・)

でも、泣けるでしょ

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yama1117 at 19:35|PermalinkComments(0)

2009年02月10日

働く幸せとは?

先日6日でしたか、NHKニュースにて障害者雇用で有名な日本理化学工業株式会社が紹介され会長の大山泰弘さんがVTRにて登場されていました。

今世間では、派遣労働者から正社員まで人員削減のニュースが飛び交っています。
しかし、企業の使命とは何なのでしょうか?

利益は目的なのでしょうか?
それを考えさせる日々が続いています…

さて、静岡同友会のカッコいい沼津支部長が、良いお話を書かれていましたので紹介したいと思います。
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「みぃちゃんの初登校...のお話」
 
陽子さんには10歳の男の子と8歳の女の子、2人の子どもがいます。妹のみぃちゃんは軽度の知的障がい児です。
 
今日はみぃちゃんにとってNZ(ニュ−ジ−ランド)現地校初登校の日。その朝、陽子さんは不安と緊張で胸が押しつぶされそうでした。「やっていけるかしら」日本で特殊学級と普通学級を行き来していたみぃちゃんは随分いじめられました。
 
「ぞうきん、ぞうきん」と、はやされて泣きながら帰ってくるみぃちゃんを、陽子さんはただただ抱きしめてあげることしかできませんでした。誰も守ってはくれませんでした。NZへ来る前に駐在していたアメリカの日本語補習校ではこんなこともありました。
 
「上のお子さんは今日からでも入校できます。しかし困ったな、この子のクラスはないんですよ。見た目はそうとわからないボ−ダ−ラインの障がいの子が一番困るんですよね」
 
教頭先生はそう言ったきり、みぃちゃんを見ようとしません。入学拒否でした。長男だけを置いて、みぃちゃんを連れて帰ったあの時を思うと、みぃちゃんの手を握る右手に思わず力が入ってしまいます。陽子さんはドキドキしながらみぃちゃんの手を引いて校門をくぐりました。
 
朝礼が始まりました。校長先生がみぃちゃんに、こっちへおいでと手招きしました。うふふ、と恥ずかしがるみぃちゃんの肩を抱き、校長先生はみぃちゃんをこう紹介しました。
 
「人間はね、誰でも神様から1つずつ役割をもらってこの世の中に生まれてくるんだよ。この子はね、『やさしい心』をみなさんにプレゼントする役を神様からもらいました。どうかみなさん、彼女とたっぷり遊んで『やさしい心』を教えてもらってください」
 
生徒たちから大きな拍手が沸き、陽子さんは息が止まりそうになりました。涙があふれ、目の前がぼやけてにじみました。みぃちゃんはとってもきらきらと笑って立っていました。手はいつの間にか、校長先生の手をしっかり握っていました。
 
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先出の大山会長は、下記の言葉を記されています。

導師は

『人に愛されること、
人にほめられること、
人の役にたつこと、
人から必要とされること、
の4つです。
働くことによって愛以外の三つの幸せは得られるのです』 と。

「その愛も一生懸命働くことによって得られるものだと思う」


このような場を、このような人間関係を、このような想いを・・・・
それらを実現していくのが企業の使命なのではないでしょうか?

その舞台を作り上げ、そして追求し未来永劫存続していくために初めて利益が必要なのではないでしょうか?



《追記》
カッコいい沼津支部長とは12日・13日と熊本で開催される中小企業家同友会全国行事の中小企業問題全国研究集会で久々に再会できます。
楽しみです。



yama1117 at 23:50|PermalinkComments(0)

2008年10月30日

気付いていない良いところ

今日のお昼のニュースで年賀状が発売開始した事を伝えていました。
目の前に11月が迫ってきました。早いものです・・・
でも、忙しい年ほど早く感じるものです。ゆえに今年1年は忙しくさせていただいた
のです。まだ新しい年の話をするのは早すぎますが、来年も頑張って早く感じる1年にしたいものです。

山田製作所は1月が決算のため、最終の四半期を迎えます。そして、来期からの3ヵ年経営方針及び経営計画の準備もそろそろ始めていかなくてはいけません。

1月におこなう全社員での一泊方針策定会議の場所や懇親会の食事などを決定し手配をしました。

そして、まもなく全社員に毎年同じ宿題が出されます。
「5年後の理想像」「山田製作所の強み・弱み」「3年先の市場状況」「競合状況」「成功要因」です。

それを基に、テーブル(グループ)討論を繰り返し、方針や目標そして行動を策定していきます。



さて、
いつもお世話になる知人から、下記のコラムを送っていただきました。
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「気づいていない良い所」

 今年は、にわか雨や雷雨が多いような気がします。先日も激しい雷雨で、信
号機が壊れている場面に遭遇しました。信号が壊れていると、車の走行に問題
があるように思えるのですが、実際運転していると、自然と譲り合ったり、お
互いに注意するような感じで、特に問題なく(むしろ日頃よりマナー良く)走
行できていました。
 当たり前のことですが、暗黙の了解で譲り合ったり、スムーズに走行できる、
風土・秩序について単純にスゴイと感じました。

 確かに、運転マナーなど悪い所に目をつければ、キリがありません。「最近
ますますひどくなった」「こんなことも守られていない」等、人それぞれ価値
観は異なりますが、悪い所を挙げると次から次へと出てきます。しかし、実際
には、前述の信号機が壊れている場面ではありませんが、良い所も残されてい
るように思われます。

 ビジネスの場面でも同様のことが言えます。日頃の職場においても悪い所、
できていない所は、すぐに挙げることができます。しかし、当たり前であるた
めに気づかない良い所もたくさんあるように思われます。悪い所を改善する視
点も大事ですが、良いところを伸ばす、守るという視点も大事なことは言うま
でもありません。

 企業(職場)で研修を行う際にも、同様のことが言えます。実習で「職場の
良い点・悪い点を分析する」という課題を与えると、元気・活発だと思える組
織とそうでない組織では、良い点を出す数が圧倒的に違います。元気・活発な
組織では、良い点が数多く出されますし、そうでない組織では、やはり良い点
として挙げられる数が少ない傾向が見受けられます。
 ただ、もう少し細かく見てみると、良い点が少ないのではなくて、気づいて
いない、長所と感じていない組織が多いのも事実です。気づいていないため、
大事にしていないと言う悪循環になっていることもあります。

 別に良い点を挙げて自慢しろと言っているわけではありませんが、これまで
存続していた組織・企業は、当然ですが存続する理由があると言えます。その
理由を再度認識・共有することで、生み出される新しい価値もあるはずです。
悪い所を挙げて対策を打つことも勿論大事ですが、良い所を再度確認して、今
後のビジネスにつなげていくことも必要ではないでしょうか。

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9年前にから始めた経営指針の成文化と実践。
あの当時は、山田製作所の強みに関する意見はなかなか出てきませんでした。

しかし、年を追うごとに強みの内容も増えレベルもアップしています。
次回の方針策定会議では、もっともっと多くそして内容のある意見を出し合えるものにしたいです。

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yama1117 at 19:26|PermalinkComments(0)

2008年08月26日

宇津木妙子元全日本監督

オリンピックも終わり、今テレビではオリンピックの名場面集を多くやっています。
中には、名実況アナウンスや名(迷)解説者の言葉などの特集までありますネ。

それを楽しく見させていただいていますが・・・、やはり今回のオリンピックで心に残った名解説者は、優勝のときに感極まって号泣する、宇津木妙子元全日本監督の解説です。こちらももらい泣きしそうなほど感動しました。

そこで思い出したのが、2年ほど前にメルマガで送られてきた、大阪の元信用金庫常務の中川さんのお話です。

少し長くなりますが、中小企業経営者にとってはとても参考になる話ですので紹介します。

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私の小中高校の同窓生にMという男がいる。彼は美大を出て美術の先生になり、卒業後外務省の嘱託として三年間インドの日本人学校で美術を教えてきた。彼はその地でアメリカの軍人さんを中心として盛んだったソフトボールを教わり、3年目には、年一回インドで行なわれるアマチュアのソフトボールのオールスター戦に出場してきた名選手である。

彼は帰国して地元の中学校に美術の先生として赴任し、同時に女子ソフトボール部を創設し、生涯に片手の指を超える回数日本一になった名監督でもある。当時私は支店長として苦悩の中にあった。どうすれば生き生きと人は動くのだろうか? 成果を上げられる職場をつくれるだろうかと悩んでいた。そして彼を訪ねたのであった。「中学の女子だったら、公立でもあるし入部時には満足にキャッチボールも出来ない人が多いんやろ。それを三年間で日本一にするのにどうしたらいいんや」すると彼はこう答えた。

「それはそんなに難しいことではない。長所を見つけて誉めることと、ダメなときは叱ることをしっかり出来たら、人はみんな伸びるもんや」そしてこんな話をしたのである。教育の仕方には大きく分けて二つある。一つは短所を指摘してそれを補完し、その人を伸ばす方法と、長所を認めそれを誉め、自信を確信にしてしまい、短所を補完しなければならないという自助努力が始まり、その人を伸ばす方法である。しかしこれ、二つとも正しいんや。お前はどっちの方法とって貰ったらやる気が出る?

「俺はやっぱり誉めてもらったほうがやる気になる」そう答えた私に対し、彼はこう言った。「そうやろ。部下や下の者はその8割がそう思っているンや。上司や先輩から認めてもらいたい。いいところを誉めてもらいたい。そう思っているのに、その本人が上司になると、その8割が部下のいいところが見えなくなり、短所ばかりを指摘してしまっている。この大きなギャップがあるから、会社でも学校でも劇的に化けるように成長する人が出てこないんや。これはわが国の文化にもなっている」(それよく分かる)と私は思った。

第一この俺がそうや。下の時は上司から先輩からどう見られているかと気になり、認めてもらいたいとこいねがっていたのに、自分が上の立場になると、部下を怒鳴ってばかりいる。そしてもっと出来る人間を送ってきてくれと人事に文句を言っている。

「それはよく分かった。では具体的にはどう指導するンや」と更にきいてみた。例えば・・と彼は切り出した。ショートの選手を鍛えようとする。人間は生まれつき右に強い人と、左に強い人がある。彼女がもし左に強いとするならば、短所を指摘してそれを補い成長させるという教育論の持ち主は、不得手な右側、すなわち三遊間側に強い球をノックし続ける。不得手なところへ強い球がくるのだから、当然はじいたり逃がしたりする。その時、間髪入れずこう言う。「下手くそっ・・」また強い球を打つ。また逃がす。「しっかりせぇ。代わりはあるんや」彼女は一層自信を失っていく。

「しかしなぁ。俺はそんな手法は取らんぞ」と彼は言った。俺は得意としている二・遊間側に強い球を数多く打ち続ける。自信があるし得意だから、強い球でも取れないまでも叩き落とすことが出来る。そんな時間髪入れずこう言う。「惜しいっ」「もう一歩」「もう一寸っ」たまにはスパッと救い上げることがある。「上手いっ」特に大きな声でそういう。その選手は自信を深めていく。次に不得手の三遊間側に少し弱い球を打つ。それでもポロッと逃がす。俺はこう言う。「もう一歩」「上達してきたっ」と・・。

私はしばらく言葉がなかった。ややあってこう聞いた。「分かった。しかし試合に勝たなければならん。その選手をどう使うんや」「そこや。実践では不得手の三遊間側に一歩寄って守らせる」「・・・・」さすが7回も全国制覇している監督の言うことは違う。「まぁ。一回練習を見に来いよ」誘われて練習を見に行った。

さすがに強いチームは違う。観衆が鈴なりである。みんな固唾を呑んで選手や監督の一挙手一投足を睨みつけるようにしてみている。私が行った時、彼はサードの選手を鍛えていた。プロテクターとレガーズをつけさせて、5メートルほどの距離から猛烈な強いノックを雨あられのようにしていた。まともに掴む球はほとんどなし。身体で当てて前に落とすか、はじいてしまう球ばかり。その一つ一つに彼は厳しいそして優しい言葉を添えていた。「そうや。もう一歩や」「上手い。そうや」

ノックが終わって私は質問した。「あんな強い球は試合中に飛んでくるのか?」と・・。彼はこう言った。「中学の女子ソフトの場合、引っ張る力が弱いから、一試合でサードに飛ぶ球は、多くて三球。時には飛んでこない時もある。しかし何かの拍子に予想も出来ない強い球が飛んでくることがある。そんな時、強い球を受ける訓練をしていると、取れないまでも身体に当てて前に落とし、拾って矢のような送球をして一塁でアウトにすることが出来る可能性がある。その時のために常日頃からああして強い球を受ける訓練をしているんや」「・・・・」私は感心と得心を一緒にした。

ノックの仕上げに外野に軽い平凡なフライを打ち上げた。レフトの選手は難なく取ってホームへ投げ返すと同時にベンチに向かって全速力で帰ってくる。次はセンターである。軽く上ったフライをセンターはポロッと逃がした。彼の持論からすると逃がしたときは「惜しいっ」と言うのではなかったのか。なのに彼は鬼のような顔になり、「来いっ」と怒鳴った。センターの選手は全速力で監督のもとに駆け戻り、「すみませんっ」と言うとサッと帽子を脱いだ。「ばか者っ」彼は言うなりバシッと横面を張り倒した。「イケッ」「ありがとうございました」言うなり選手はもうセンターのポジションに向かって駆け始めていた。

練習が終わった後、職員室で彼に聞いた。「殴ったらアカンのとちがウンか/?」「第一、球を逃がしたときは、惜しいっと言うのと違うかったんか?」彼は平然と答えた。「厳しい強い球をノックした時は、逃がしたら、惜しいっというのは当たり前や。しかしあのセンターへのノックは気を引き締めていたら誰にでも捕れる球や。気が抜けているから逃がすんや。もし7回裏でツーアウト味方が一点リード。ランナー二三塁としょうか。ワシは一球一球ベンチからピッチャーとキャッチャーに投げる球をサインで指示している。サイン通りに投げ込んだインコース低めの球に詰まって、ふらふらとセンターに上り、勝ったと皆が思ったとき、もしもポロッと落としたとしょうか。二三塁のランナーがホームに帰って逆転サヨナラ負けになる。そうやから、練習から気を抜いて逃がしたら殴らな分からんのや」「う〜ん・・・」気を取り直して尚も聞いた。

「確かにそう言われればそうやな。しかし生徒を殴ったらクビニなるで。第一見学している父兄が黙ってないと思うで・・」「俺はなぁ。愛情の範囲内でしか怒らないんや。今の世の中、誰も心を込めて叱ってくれない。父兄だって納得してくれると思うで・」それはどうかは分からないが、愛情を込めて叱ってみせる彼の態度に、胸が熱くなる思いがした。殴ることの賛否は、無責任ながら、我存知せざるなりであるが、そんなにも熱く選手を成長させようとする同級生を持ったことに誇りを感じていた。そしてリーダーの在り方を心に刻んでいたのであった。

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この当時、宇津木監督は、愛知代表の監督をされていたようです。

このような名監督の指導の下、ソフトボールが育ち、金メダルを取るまでになったのですね!

「人を育てる」
中小企業家も名監督でなければなりません!

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yama1117 at 21:20|PermalinkComments(0)

2008年08月18日

終戦記念日

この話は、同友会で一緒に学ぶ静岡の経営者仲間のブログで紹介されたお話です。
8月15日の終戦記念日に投稿したかったのですが、少し遅れてしまいました。


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《ニッケルの指輪》
お隣の息子さんは19歳の若さで戦死した、昔の神風特攻隊であった。飛行機ごと敵艦に突っ込むのだから、当然、何も残らない。だから遺骨の箱は空っぽのはず。なのにその遺骨箱は、傾けた拍子に、ことりと音がした。何か入っているらしい。
 
好奇心にかられて「開けてみようか」と言いましたが、ご主人より妻の政子さんが「遺骨箱を開けるのは、お墓を暴くのと同じで仏を侮辱することです、やめてください」と目の色変えて反対したそうである。
 
戦死した息子さんの生みの母は、息子さんが3歳の時に亡くなって、今の政子さんは継母だったのである。つまり、生さぬ仲の母子で、神経質に気を使っていると思った。それで、遺骨はそのままで50年が過ぎた。
 
この地方の慣例で、遺骨箱は50年は仏壇に供えておくが、50年忌がくると、先祖累代の墓地に移されることになっていた。法要の長々とした読経のあとで、墓に移す前に、遺骨の箱を開けてみようと提案された。
 
ご主人はすでに亡くなっていたので、継母の政子さんも、多勢に押されてしぶしぶ同意した。こうしてお坊さんの手で箱は開けられた。出てきたのは1枚の便箋紙にくるまれた、ニッケルの女物の指輪だった。
 
「あら、それは若い頃に紛失したまま、忘れていた私の指輪やが」と政子さんが言った。そして便箋には、ペン字の走り書きで、次のようなことが書いてあった。
 
僕は3歳の時から育てられて、心の中ではすまないと思いながら、ついにお母さんと呼べなかった臆病者でした。出生する時お母さんの鏡台から、そっと持っていったこの指輪、お母さんと思って肌身離さず大切にしていましたが、出撃命令を受けた今、修羅の海に沈めたくないので、お返しします。そして今こそ、呼ばしてもらいます。お母さん!僕は19年3ヶ月と、短い命でしたが、お母さんは僕の分まで長生きしてください。これが最初で最後です。お母さん!さようなら。
 
強烈な感動が、みんなをおし包んだ。息子さんが頑なに、お母さんと呼ばなかったことは皆も知っていた。「冷たくするからなづかんのか、なづかんから冷たくするのか、生さぬ仲とは妙なもの」ぐらいに、傍は思っていたが、子どもの心はそうではなかった。
 
初めて知った継子の純情に政子さんは手放しで泣いた。みんな泣いた、私も泣いた、あの感動は今も忘れない。

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63年前の戦争には、いや今までの戦争には、このような話が多く隠されているのだろうと思います。
このような尊い命が今の日本を築き上げていただいたのだと感謝します。

同時に、戦争の愚かさを感じます。

そして、いとも簡単に自分の命を、また他人の命を粗末にする現在の日本人に憤りを感じさせるお話です。

8月15日、命を考える深く重たい一日でありたいものです。

yama1117 at 23:47|PermalinkComments(0)

2008年08月09日

誕生日は両親に感謝の言葉

仕事も一段落した夕刻メールをチャックしますと、件名に「感謝」と記されたメールを受信しました。
発信者は、一緒に学ぶ経営者仲間です。
何かな?とメールを開くと下記の内容です。

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皆さん、こんにちは。

さて、皆さんに質問!  本日は何の日でしょうか?
そうそう、オリンピックの競技開始日。 う〜ん、正解!!
長崎の原爆の日。   それもまた正解。
盆休みの4日前。  う〜ん。微妙に正解。

実は、本日は私の42回目の誕生日なのです。

午前中、事務所にてそういう話しをしていたら事務員が私に一言、
『42歳になって、誕生日ってそんなに嬉しい!?』って言われました。
確かに、年を取るのは徐々に墓場に近づいてきているので嬉しくはないのですが、
でも私がこの日に毎年思うのは、生きている事への感謝、そしてこんな私でも信用をし支えてくれている人への感謝の気持ちです。
そういった話しをしていたら色々な事が頭の中を駆け巡り、昼休みに思わず両親にメールをしてしまいました。

『親父とお袋へ。  本日で私は42歳になりました。 現在、決して楽ではないですが心は幸せです。普段言う機会がないのでこの日に一言。 生んでくれて有難う。』

面と向かって言えばいいのですが、照れくさいのでメールにて御礼を言いました。

そして皆さんにメールをさせて頂いているのは、その事の報告ではありません。

私にとって、皆さんは大切な仲間であり、人生の財産だと思っています。
その素晴らしい仲間と出会えお付き合いさせて頂いているのも、42年前の今日という日が有ったからだと思います。

今日という日に感謝!
私と出会いお付き合い頂いている事に感謝!  
有難うございます。
そして、こんな私ですが今後も宜しくお願いします。

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思わず胸が熱くなりました。
涙が出ました。

そうなんですよね・・・
誕生日という日は、母が命を掛けながら私たちを生んでくれた日なんですよね。
その感謝の気持ちを一年に一回言葉にしなければいけない日・・・

そんな気持ちをすっかり忘れていました。
このメールで、大きな気付きをいただきました。

親父に対して、なかなか素直になれない自分・・・
心ではいつも反省しています。

Uさん!
ありがとう!
そしてお誕生日ありがとうございます。

私こそ、これからもよき相談相手でいて下さい。
よろしくお願いします。


yama1117 at 18:40|PermalinkComments(2)

2008年07月15日

お金ではない!

先週、東京で2社の企業を訪問してきました。
内容は、数日前のブログで紹介した通りですが、感じたことは、「江戸っ子の気風」です。
「お金ではない!心意気でモノづくりしてるぜ!」と口には、出しはりませんが、カッコいい経営者です。
両者とも、しっかりと自立した企業であり、もちろんその為に経営者の熱き想いでもって社風として育ててきた企業です。


少し意味合いは違うかも知れませんが、「お金ではない!」に通じる、暖かい話を、静岡県沼津市のカッコいい経営者より教えていただいたので下記に紹介します。

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私が小学校五年の時、保健室に子猫がいました。先生が言うには「この猫は心臓が悪いので、長生きしないだろう」とのことなので、「私だったらきっと大事にして長生きさせてみせる」と言って家に連れて帰りました。
 
すると両親に、「アパ−ト暮らしだし、猫を飼う余裕なんかないから捨ててこい」と言われてしまいました。しかし、私は泣いて、「迷惑を掛けないから、私のご飯を少し猫にあげるから」と強引に頑張り、何とか飼えることになりました。
 
ある日、先生の言ったとおり、猫が病気になってしまいました。動物病院に連れて行きたいのですが、両親に言えば「そんなお金がどこにある」と怒鳴られると思ったので、こっそりとある動物病院に電話をしてみました。
 
すると、「今すぐ猫を連れてきなさい。お金はあとでもいいから」と言われ、連れて行ったのです。食欲がないため、点滴をしてもらって帰り、翌日から三日間、往診もしてもらいました。こうして猫は元気になりました。
 
そのあと先生に、「お金は本当にあとでもいいのですか」と聞くと、「来年、お年玉が入ったら少しでも払ってくれればいい」と言ってくれました。
 
翌年、私はお年玉をもらってから、それに貯金を足してお金を一万円持って行くと、七千円もおつりをくれたうえに、「また猫が調子悪くなったら往診してあげるから」と言ってくれたのです。
 
それから、たびたび往診してもらいながら、猫は元気に十五年生きることができました。世の中に、お金よりも命を大事に考えてくれるお医者さんがいることに、心から感謝したいと思います。

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今、まさしく求められている時代は、このような日本人らしい世の中なんだと感じます。
だからこそ、中小企業経営者がその先頭に立たなければいけないと思うのです。



yama1117 at 19:40|PermalinkComments(0)

2008年05月01日

スポーツマンシップ

先週の土曜日は、長野県で北京オリンピックの聖火がリレーされました。
「やっぱり」というべきなのか、5人の逮捕者が出る騒動になっていました。

そして、お隣の韓国でも同じような騒動がおきていました。

私の考えは・・・
中国がチベット自治区に行なっている人権問題に関する抗議行動には、大いに応援します。

しかし、いきなりランナーに飛びかかるような行動や、物を投げる等の妨害行為は、今年初めも問題になった、日本の調査捕鯨船に体当たりする シーシェパードと同じではないかと考えてしまいます。

本番の北京オリンピックでは、平和の祭典としてアスリートたちの最高のパフォーマンスを期待したいものですね。


さて、昨日
下記のような話題を見つけました。
ちょっと、良い話です・・・
(らばQ)で見つけました。

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080501aアメリカのオレゴン州、大学の女子ソフトボールで起きた話です。

両チームとも初めての決勝戦という大事な試合で、サラという選手がホームランを打ちました。ところが1塁をまわったところで彼女に悲劇が起こります。

ヒザを故障してしまい動けなくなったのです。

チームメイトが助けたり選手交代した場合、ホームランは無効になります。彼女にとって4年間で初めてのホームランでしたが、他に選択肢は無いと思われました。

そのとき、彼女を抱えてホームまで運んで行ったのは……

敵チームの選手だったのです。

ウェスタン・オレゴン大学4回生の、サラ・トゥホルスキー(Sarah Tucholsky)はソフトボールの決勝戦に出場していました。

対戦相手はセントラル・ワシントン大学。両校とも過去にディビジョン2のトーナメントで勝ち上がってきたことは無く、とても大事な試合だったわけです。

4月の試合、野次の飛び交う熱狂した観客、いつもと変わらない土曜日でした。

この日は1日に2試合を行うダブルヘッダーで、1試合目はウェスタン・オレゴン大学が勝っており、2試合目は0−0のまま進行していました。

「野次を黙らせたいと思ったの」サラはそのときのことをこう振り返っています。

「最初の球はストライク。そのあと打った球のことは覚えてなくて、覚えてるのはとにかく打ったということだけよ」

彼女の打ったホームランは場外に飛んでいきました。

4年間続けてきたソフトボール、チームも9連勝中で、彼女もヒットを打つなど活躍していましたが、ホームランはまだ一度も打ったことがありませんでした。

彼女はかなり小さい体格なので、この場面でホームランを打つなんて予想外のことだったのです。

それだけにこのホームランは、卒業前の最後の舞台で彼女がヒーローになれた瞬間だったわけです。

ところが興奮いっぱいに走る彼女は、1塁を踏み外してしまいました。

080501b気づいた彼女は1塁に戻ります。しかしひざが故障してしまい1塁に戻る途中で崩れるように倒れてしまいます。

彼女はなんとか走ろうとしますが、もう1塁にもたどり着けません。

もしチームメートやコーチが助けると、ホームランは無効となります。

すでに塁にいたランナーはホームに帰ってきています。このホームランを有効にするには、彼女一人の力でホームベースに帰らなくてはいけないのです。

そのときのことをコーチはこう説明しています。

「4年間で初めてのホームラン、それを彼女から取り上げたくない気持ちが心によぎりました。それと同時に彼女のことが心配でした。」

彼女に直接手を差し伸べてしまえばアウトになるため、審判は次のように提案しました。「ルール上、残された選択肢は彼女を別の選手と交代させ、3ランホームランではなく、2点タイムリーヒットとして記録する」

コーチは「わかりました」と告げました。

すると横から「私たちが彼女を運んでベースにタッチさせてもいいでしょうか」という声が掛かります。

見ると相手チームのホルツマン選手でした。

同じくラストシーズンとして4年生の彼女自身も、シーズンが終わればひざの手術をすることになっていました。

彼女は試合の度にひざが痛みましたが、彼女にとっても最後のシーズンを欠場したくないため、手術を先延ばしにしていたのです。

そんな彼女が自分の最後の試合で、4年間敵チームの選手として知っているだけの相手を助けると申し出たのです。

080501cホルツマンとリズ・ワラスの2人で彼女を持ち上げ、ベースをゆっくりと回りました。確実に彼女をベースに踏ませながら…。

靱帯の損傷と思われる苦痛に耐えながら、サラはベースを踏んでいきます。

「ベースにタッチしながら3人で笑っちゃったわ。観客から私たちがどんな風に見えているのか想像できなかった。だけどおかしかったのよ。リズと二人で運びながら左足に触れないように気をつけたの。そしてその左足が優しくベースに触るようにしていたら、くすくすと笑えてきたのよ。」

あとで彼女はこう伝えています。

「正直言うと、私が同じ立場でも誰かがそうしてくれたらうれしいと思う。彼女にとって最後のシーズンのホームランよ。私はソフトボール経験が長いから、彼女に触れることができるのを知ってたの。私のアイデアだったけれど、きっと誰でも同じことをしたと思うわ。」

こうなると、どちらが勝ったかというのは重要じゃなくなるような気がします。

本当のスポーツマンシップとは何か。

3人がホームベースにたどり着いたときの、球場に沸いた歓声と拍手が鳴り止まぬのが聞こえるかのようです。
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“努力をする才能”を持ったアスリート達が集うオリンピック。
なにか、今年のオリンピックは、この様なドラマが起きるのではないでしょうか?

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yama1117 at 20:00|PermalinkComments(2)

2007年12月04日

親が子供に教えるもの、伝えるもの・・・

 昨日夕方、テレビを見ていますと、大阪の私立高校をレポートしていました。
文武両道でプロ野球やJリーグにも選手を輩出している学校とのことです。

 そのレポートの中で、剣道部が出ていました。男女ともインターハイに出場する強豪です。
 一人の女子部員が男子部員と練習試合をしましたが、その女子部員が強い!

しかし、その女子部員は、まったく音が聞こえない聴覚障害の女の子でした。
 でも、普通に健常者と会話をしているのです。それは、相手の口の動きを読み取り、理解していると説明していました。

 レポーターが「どうやって、覚えたのですか?」の質問に対して、「両親が、一生懸命教えてくれました」と、明るい笑顔で答えていました。
本当にさわやかな明るい笑顔です。



そこで、最近感動した話を紹介します。

静岡中小企業家同友会 沼津支部 支部長 秋山和孝さん(株式会社アイソー)「社長の三行日記」で、紹介されたものです。


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「花嫁の電話」というNTTの電話明細に付属されてきたものです。
 
由香ちゃんが近所に引っ越してきたのは、まだ小学校三年生のときでした。
ときどき我が家に電話を借りに来るのですが、いつも両親ではなく由香ちゃんが
来るので、おかしいなと思っていたのですが、しばらくしてそのわけが解りました。
 
由香ちゃんのご両親は、耳が聞こえない聴覚障害がある方で、お母様は言葉を発することができません。親御さんが書いたメモを見ながら、一生懸命に用件を伝える
由香ちゃんの姿を見ていると、なんだか胸が熱くなる思いでした。(中略)
 
由香ちゃんの親孝行ぶりに感動して、我が家の電話にファックス機能をつけたのは、それから間もなくのことでした。しかし、当初は明るい笑顔の、とてもかわいい
少女だったのに、ご両親のことで、近所の子どもたちにいじめられ、次第に黙りっ子になっていきました。
 
そんな由香ちゃんも中学生になるころ、父親の仕事の都合で引っ越していきました。それから十年余りの歳月が流れ、由香ちゃんが由香さんになり、めでたく結婚することになりました。その由香さんが「おじさんとの約束を果たすことができました。ありがとうございます」と頭を下げながら、わざわざ招待状を届けに来てくれました。
 
私は覚えていなかったのですが、「由香ちゃんは、きっといいお嫁さんになれるよ。だから負けずに頑張ってね」と、小学生の由香ちゃんを励ましたことがあったらしいのです。そのとき「ユビキリゲンマン」をしたので、どうしても結婚式に出席してほしいと言うのです。「電話でもよかったのに」と私が言うと、「電話では迷惑ばかりかけましたから」と、由香さんが微笑みました。
 
その披露宴のことです。新郎の父親の謝辞を、花嫁の由香さんが手話で通訳するという、温かな趣向が凝らされました。その挨拶と手話は、ゆっくりゆっくり、お互いの呼吸を合わせながら、心をひとつにして進みました。
 
「花嫁由香さんのご両親は耳が聞こえません。お母様は言葉も話せませんが、
こんなにすばらしい花嫁さんを育てられました。障害をお持ちのご両親が、
由香さんを産み育てられることは、並大抵の苦労ではなかったろうと深い感銘を覚えます。嫁にいただく親として深く感謝しています。由香さんのご両親は、『私達がこんな身体であることが申し訳なくてすみません』と申されますが、私は若い二人の親として、今ここに同じ立場に立たせていただくことを、最高の誇りに思います。」
 
新郎の父親の挨拶は、深く確かに心に沁みる、感動と感激に満ちたものでした。その挨拶を、涙も拭かずに手話を続けた由香さんの姿こそ、ご両親への最高の親孝行だったのではないでしょうか。花嫁の両親に届けとばかりに鳴り響く、大きな大きな拍手の波が、いつまでも披露宴会場に打ち寄せました。
 
その翌日、新婚旅行先の由香さんから電話が入りました。「他人様の前で絶対に涙を見せないことが、我が家の約束事でした。ですから、両親の涙を見たのは初めてでした」という由香さんの言葉を聞いて、ふたたび胸がキュンと熱くなりました。
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 今、私は、高校1年生、中学2年生、小学4年生の娘を持つ父親です。
今まで、彼女たちに何を伝えてきたのか、そして今後何を伝えていくのか
そのためにも私自身がもっともっと学ぶ姿勢を持ち続けなければ・・・。反省です。
 “教育”ではなく、子育てもやはり“共育”なんですね。


yama1117 at 22:21|PermalinkComments(3)