今年初めての見学会中小企業変革支援プログラム

2008年01月17日

1.17

当時の住まいは東大阪市に建つマンション14階だった。

正月休みあとの連休で、前日まで友人達と長野県蓼科へスキーに行っていた。その心地よい疲れでグッスリと寝ていた翌朝午前5時46分地鳴りのような音に「何?、と思った瞬間ベットが横に動くような大きな揺れに襲われ飛び起きた。

でも、立っているのが精一杯で部屋の扉枠につかまりながら聴いた、キッチンからの食器棚を飛び出す食器のガッチャンガッチャンと割れる音を今でもしっかり覚えている。

すぐに玄関の扉を開けテレビをつけNHKを流した。
アナウンサーは、緊張した面持ちで大きな揺れがあった事は述べているが、まだ詳細は何も伝えられていない。

すぐ、東海地方が震源地と疑った。
「やばい!妻は子供たちをつれて三重県の実家に帰っている。大丈夫か?」すぐに受話器をもち電話をかけたところ、「結構揺れたけど大丈夫…」との返事。東海沖ではないのか…?

すぐに、父親(当時社長)や弟(当時サラリーマン)に電話を入れて無事を確認する。そして社員さん達に次々と電話を入れ何事も無かった事を確認した。

父と相談し、始業を1時間遅らせ、割れた食器や、料理酒の一升瓶などを片付け会社に向かう。

14階からエレベーターで降りる途中大きな余震が起こる。手当たり次第に各階数の釦を押しすぐ飛び降りた。建物が音を立てて揺れているのが解るほどの余震だった。

会社に到着すると、まず工場内を見渡した。異常はまだ感じない。すぐに事務所や、弟がまだ住む以前の住まい(工場の上)に入ると。食器棚やタンスがひっくり返っていた。
応急的に起こし直し簡単な片付けを施し、異常個所の発見に努める。
壁に掛けてある額が大きく揺れた事を物語る、擦れた跡が額の下に半円を描いていた。

もう一度工場に入り、社員全員で点検を行なう。
鉄骨の柱同士を斜めにつなぐ鎹(カスガイ)の根元のボルト(M16)が全て折れ飛んでいた。
外に回ると、モルタルの壁がところどころ割れて地面に落下している。
延べ1週間かけてその修復作業にあたることになる。



当日、テレビから情報がどんどん入ってくる。
神戸の状況がだんだんとわかってくる。尋常じゃない状況だ。
日本では高速道路は落ちることはないと専門家が轟々していたのに、阪神高速が横倒しになっている。
あちらこちらから火の手が上がっている・・・。

只々地獄のような映像と情報を見つめ聴くだけだった。


6434人の命を奪ったあの大震災から13年が過ぎた。

身近な人たちを目の前で亡くした方々がほとんどだと思う。
本当に悔しかっただろう・・・

今日という日は、
家族と一緒に生活をするという当たり前のようなことが、本当の幸せなのだと再確認しながら、6434名の方々に黙祷ささげる日としたい。

yama1117 at 07:25│Comments(1)個人 

この記事へのコメント

1. Posted by 坂本晋一   2008年01月18日 08:26
5 山田さん
おはようございます。
あれからもう13年にもなるのですね、早いものです。毎年この日になると女房から「私が一人で子供3人を守った」と冗談半分の嫌味を言われます。何故なら前日1/16の夜便で香港へ出張して留守にしていたのです。1/17朝に用事があって香港から会社に電話してもつながらないしおかしいなと思いながらフェリーで中国広東省に向かったところ港まで迎えに来てくれた現地の方から神戸が地震で多くの死者が出ていると聞いたのでした。
改めて亡くなられた多くの方々に黙祷を捧げたいと思います。

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
今年初めての見学会中小企業変革支援プログラム